自分の「トリセツ」持ってる?
「自分システム」を作ろうというお話。
西野カナの『トリセツ』って、すごく面白い歌だと思うのね。
何がかって、歌に出てくる女性は、「自分のことをよくわかってる」から。
どうすれば自分が不機嫌になるか
どうすれば自分がご機嫌になるか
これが分かってるだけで、自分のコントロールがしやすいよね。
不機嫌になることを避けて、ご機嫌になることをすればいいんだから。
例えば俺なら、喫茶店でコーヒー飲んで、放心してると落ち着いてくる。
そのうち元気になって、ウキウキして帰宅することが多いのね(*´▽`*)
他にも面白いと思ってるところがあるのね。
それは、この女性が「自分のことが大好き」で、「そんな自分でもいいんだよ」って思ってるところ。
これすごくね?笑
多分こんな女性と付き合ったらきっと素敵だろうなって思う。
だって、自分を大切にしてるから、きっと俺のことも大切にしてくれるだろうな~って思うから。
自分の「トリセツ」って持ってる?
誰かのトリセツじゃなくて、ネットに書いてある方法じゃなくて、あなた自身の、あなただけのトリセツ。
トリセツ、作ってみたら?
そしたら、自分の人生を生きられるよ。
人やネットに振り回されず、自分の体調や感情に振り回され過ぎず、自分をよ~~くわかるようになる。
・あなたが不機嫌になるのはどんな時?
・あなたがご機嫌になるのはどんな時?
・ついついやっちゃう失敗は何?
・何をすれば回復するの?
・どんな時に幸せを感じるの?
などなど。
案外パッと言えないんじゃないかな?
紙に書いてもいいと思うよ(*´▽`*)
スマホでポチポチしてもいいさ。
自分で自分のことをよくわかっていること。
それは、「自分システム」を分かってるということ。
何事も、基本があっての応用がある。
勉強でも部活でもなんでも、基礎基本が大切って言われるよね。
まずは土台、ベースができているからこそ、その上に積み重なることがある。
思いがけない出来事にもぶれず、応じることができる。
「システム」があるからいつも同じパターンを保つことができて
「システム」があるからこそ、「システムから外れてること」も意識できる。
取扱説明書もついてない製品、買いたい?
システムもマニュアルもない会社、入りたい?
コンパスもナビゲーションもついてない船、乗りたい?
俺はやだ。笑
べつに言い方は「トリセツ」でも「システム」でも「コンパス」でも何でもいい。
つまりは、自分を持っていること、自分を知ることが大切ってこった_(:3 」∠)_
「条件付き」から「無条件」へ
昨日の記事のつづき
俺の中には、
- すぐ出来なきゃいけない
- 賢くなきゃいけない
っていう「○○しなきゃ」がある(あった)。
なんでかな?って考えていったら、思いついたことがあるのね。
昔、子どもの頃、「能力の高さ」を褒めてもらう機会が多かったからじゃないだろうか。
「賢かった」「勉強ができた」「運がいい」「物覚えがいい」とか。
「できる」をフォーカスして褒めると、子どもは「できない」ことにフォーカスしてしまう。
「褒められる」を意識すると、「褒められない」ことに意識が向いてしまう。
まあ、そんな感じで「できる」ことが素晴らしいと思っているごくありふれたぽっちゃりボーイが誕生したわけである。笑
分からんでもない。子どもを褒めるとき、人を褒めるときは「できる」「できた」「いい」ことに対して褒めるから。
特に教師とか、(多分)親は「できること」「できないこと」をフォーカスしてしまいがち。
そんで、それに対する評価も「できる=〇」「できない=✖」になってしまいがち。
子ども達は、「自分を見てほしい。愛してほしい。自分に注目してほしい。特別でありたい。」みたいな、意識してるかどうかは別として、そんな言動をとってる気がする。
「できる=〇」で目立つことができないなら、せめて「できない=✖」で目立とう。
それでもいい。叱られるより、否定されるより、無視される方が嫌だ。
そんな感じなんじゃないかな~
「できる」「できない」ではなくて、「その人である」ことを大切にしてあげたい。
そうしたら、子ども達は、相手の人は、のびのびと生きていけるんじゃないかな。
これを読んでくれてる「自分自身」にも言えること。
自分のこと褒めてる?否定してない?
相手や自分に「できる=〇」「できない=✖」って採点してませんか?
相手を見張って、自分自身のことも見張って・・・それじゃ、しんどくなっちゃう。
ただ「自分である」こと。「相手であること」を大切にしよう。
そこに「行為」は関係ない。
たとえば自分が失敗したり、明らかに悪い事したりした時に、
「大丈夫だよ」「それでもいいよ」
って言われたら、なんか安心しない?
これは、「行為」ではなく「存在」に注目して、大切にされてるからだと思うのね。
こんな感じでさ、相手にも、自分にも、存在まるごと〇をあげちゃおう(*´▽`*)
まずは自分は自分を大切にすること。
自分の「能力」や「行為」じゃなくて、「存在」を大切にしてあげよう。
そしたらさ、どんどん自分が好きになる。
失敗しても、「んもー、こいつめ♡」ってなる。笑
そりゃ傷ついたり凹んだりするけど、回復が早くなる。
俺さ、おじーちゃんおばーちゃんっ子だったのね。
それは、きっと「存在」を大切にしてくれてるのをより多く感じてたからなんじゃないかな?そうだよね?(しらんがな)
親ももちろん愛してくれてたけど、親と祖父母では回数や立場や比率がちがうからね。
「なんか大切にしてくれてる気がするから、なんかしらんけど好き」って、そんな思い出ない?
それ、自分にも応用できるで~_(:3 」∠)_
しかも、始まりは自分なのね。
自分の存在を大切にできるから、相手の存在も大切にできるようになっちゃうよ。
そして、イライラする人、嫌いな人は、消える。笑
存在が認知できなくなる。
そしたら、大切な自分も、大切な相手も、みーんな幸せなんじゃないかな~
レジリエンスとか自己肯定感とか難しい言葉使ってるけど、まあ、これのことなんじゃね?しらんけど。笑
こたやん@かけがえのないわたし
「○○しなきゃ」から「○○したい」へ
「○○しなきゃ」「○○すべき」って思ってることってある?
オートで発動してることが多いから、自分で気づけないこともたくさんあると思うけど(=_=)
たとえば、俺の「○○しなきゃ」は、
- すぐ出来なきゃいけない
- 賢くなきゃいけない
- 美容室で髪を切ってもらわなきゃいけない
とかがある。
今日は、おそらくこの中で1番どうでもいいと思われてそうな美容室のお話。笑
今日、理容室に行ってきたの。
なんでかっていうと、髭剃ってもらったらスッキリしそうだったから。笑
仕事終わりに、砂やらチョークやらでボロボロになったジャージで。
なんかよくわからないクロックスのような靴で。(ロゴは猫。笑)
砂まみれのボッサボサの髪の毛で。
これは俺的にはあり得ない事態だったのね。
何故かって、髪切りに行くときは
- 髪型に合うようにオシャレしていかなきゃいけない
- 大体4000円くらいする美容院で切ってもらわなきゃいけない
- 定期的に行って、髪型を大きく変えてもらわなきゃいけない
みたいな思い込みがあったから。
もうね、全無視。笑
理容室に入った瞬間、「あれ?なんか懐かしいにおいがする・・・」っ思ったのね。
んで、なぞの泡立てられた白いものを塗られ、かみそりで髭を剃ってもらい、
よくわからないウサギの毛のようなもので、よくわからない白い粉をポンポンしてもらい、そこで気付いた。
「あ!俺、昔、理容室で髪を切ってもらってて、それをすごい楽しみにしてたんだった!!!」
理容室でしてもらえる一連の流れ、あの独特のにおい、思い出は俺の中にずっと残っていたようである。
いつからか、美容室で髪を切ってもらうようになった。
なんだかおしゃれなような気がして、ここにいかなきゃダメだと思うようになってた。
友だちも美容室で髪を切っていて、ワックスもつけだしていて、なんだか理容室で髪を切ってることを言ってはいけないような気がしてた。
いつの間にか、「理容室が好き」な自分が隠れていって、「美容室に行かなきゃいけない」と思ってる自分が生まれていた。
これを読んでる人たちの中にも、自分の「好き」を押し殺して、「しなきゃ」になってしまっていたことがあるかもしれない。
いつの間にか忘れてしまった、子どもの頃、好きだったものがあるかもしれない。
それを、発掘してみたらどうかな(*´▽`*)
誰かの好きなもの、周りに合わせた好きなものばかりだと、な~んかモヤモヤしてこない?
それすら忘れちゃうくらい、麻痺してしまってることも、あるかもしれない。
誰かじゃなく、自分が好きなものって何?
子どもの頃に好きだったものとかは、あんまり人の影響を受けてないかもね(・ω・)
「誰かのため」「○○しなきゃ」「○○べき」ってものを手放していって、「自分が」好きなもの、好きだったものを追い求めてみよう。
そしたら、時間が経つのも忘れちゃうくらい、ハマっちゃうかもしれない。
今までのモヤモヤが嘘みたいに晴れて、やりたくて仕方なくなるかもしれない。
そしたら頭の中にあるのは、「○○したい」という気持ちばかり。向上心高めか。笑
成功も失敗も他人の採点も気にならず、ただ自分らしく、楽しんで過ごすことができるかもしれない。
誰かはとりあえずその辺に置いておきなよ(´◉◞౪◟◉)笑
少しずつでも、自分のために力を割いていこう。
こたやん@どんな髪型でもワックスでごまかす系男子
「目的」に合った「手段」、使ってる?
すぐ暖かく包み込んでくれる、瞬発的に惹かれる存在か、
最初は冷たくても、長い目で見て自分に良い存在か、
うん。。。なやむよね。。。
ここ最近ついお泊りしてしまう。。。
俺には前から決まってた、大切な存在がいたのに(*_*)
これが男の性(さが)なのか。。。
あ、どうも、コタツとベッドについて考えさせられているこたやんです。笑
皆さんは「目的」に合った「手段」を使ってますか?
たとえば私、最近腰がとても痛い。
なぜなら毎日コタツで寝落ちしているから。
「目的」で言ったら、「腰の痛みをなくす」「上質な睡眠をとる」なわけです。
そのためには、「ベッドで寝る」という「手段」を使うといいと思うんですよね。
駄菓子菓子、人間とはかくも短絡的な幸せを求めてしまうものなのでしょうか。
コタツの魔力にやられてしまうわけですよ。ええ。笑
心がスッキリさっぱりするために、ここをおさえてほしいなと思うわけです。
そうしたら、モヤモヤ~がとれて、おめめぱっちりで、元気になれる!!!と思う。笑
紙とペンを使って、書き出してみるとわかりやすいかも(*´▽`*)
- あなたが「目的」としていることは何ですか?
- それを達成するためには、どんな「手段」がありますか?
- 考え得る「目先の欲」は何ですか?誘惑に負けてない?笑
ここをぶれずに抑えることができないと、
・暴飲暴食をして、ちょっとの間満足するけど、結果として満たされず、後悔が残る。
・とりあえず寝てみるけど、結果として解決してないので、どよーんとしてしまう。
とかになっちゃうんじゃないかな?
ん~、な~んか最近モヤモヤしてるなぁって思ってる人がいたら、一度試してみてほしい。
「目先の欲」に流されず、「手段」を間違えず、「目的」を達成しよう。
そうしたら、モヤモヤは消えて、満足感が生まれるよ(*´▽`*)
そんでそんで、「次はあれしようかな~これしたいな~」って新しいことに進むことができる。
こういった良い事があるから、ためしてみてちょ(´◉◞౪◟◉)笑
もし「使えるな」とか「試してよかった」とか「面白いな」とか、そう思ったらシェアしてな~_(:3 」∠)_
こたやん@ということで、そろそろコタツから出たいと思います。笑
疲れたら寝ろ。笑
いいか?疲れたら寝ろ。笑
しのごの言うんじゃない。笑
まあさ、なんかモヤモヤーとしてきたら、難しく考える人っておるやん。
そうだよ。俺だよ(´・ω・`)
そんな奴はな、さっさと寝てしまえばいいんだ。
とりあえず水でもがぶ飲みして、手元にあるもの食べて、コタツの中にでももぐりこんでしまえばいい。
考えすぎてるなら、紙に書け。笑
頭の中でぐるぐる回してるから、発酵してくるんだ。
紙とペンって蛇口みたいなもので、ダバーッと思い浮かんだものを何でも書いて、流してしまえばいい。空っぽになるまで。
汚い字でいい。
読み返す必要もない。
ただ吐き出す作業。
アウトプットなのかって?ぴ~や~!そんなの関係ねぇ!(なつい。笑)
ちなみに俺がさっき書いた最後の1行、「本当にそんな名前なのですか?間違っていたら、弓の名手を」って書いてあった。笑
何が起きていたんだwww
ええ、完全に寝ぼけてましたね。
多分夢の内容を書いてる。
うとうとしても書きたいなら書けばいい。寝たいなら寝たらいい。
ちなみに俺は書きながら寝てた。ノートによだれついてた。笑
起きたらスッキリしてるよ(*´▽`*)
案外寝て起きたら何とかなるもんだ。笑
前の記事で、「逃げるために寝ても解決しない」的なことを書いたけど、疲れてるから寝るっていうのは「正しい」ことよな。
正しさとジャッジを分けて考える。ジャッジの成分を入れないようにする。
北海道に行きたいです!って言いながら沖縄行きの便に乗ってたら、「間違ってる」よな。
良いとか悪いとか、周りはどうだとか、それはジャッジよな。
見極め難しいよな(=_=)。。。笑
自分の欲求に対して正しい「手段」や「方法」をとれってことよな。
ここまで読んでくれてる人、
頑張り屋さんすぎるんじゃないか?
いつもおつかれさん。
ぎりぎりまで自分追い詰めてないか?
ぼちぼち行こうよ。
明日やろうは馬鹿野郎とか思ってないか?
それ、明日でも明後日でも大丈夫なんじゃないの?
明後日やろうとかなんだよ。一周回って天才かよ。笑
はあ、スッキリした(*´▽`*)笑
好きなことでも楽しいことでも嫌なことでも、ずっとやってたら嫌になるし、飽きるし、他の事したくなるし。
そしたら他の事したらいい。
満足したら戻っておいで\(^o^)/
戻って来たくないようなことをしてたなら、やめちゃえよ(´◉◞౪◟◉)笑
こたやん@もっと好きなことをしてもいい。
自己実現か尊敬か。中島らも『今夜、すべてのバーで』
本を読むのは好きだろうか?
ちなみに俺はめっちゃ好きで、小学校の頃、小説クラブなるものを作ってたなぁ。笑
中島らも『今夜、すべてのバーで』を読み終わった。
人は何かに依存している、すがっている、価値を見出しているのかなぁと思った。
それが人間関係なのか、仕事なのか、お酒なのか、それだけの違い。
アル中と呼ばれる人々は、たまたまお酒だっただけ。身体を壊すものだっただけ。
心を壊すものに依存する人だってたくさんいるんだろうなぁ。
最近また、好んで本やら論文を読むようになった。
休日やアフターファイブも家に1人でいることばかり。
コタツの住人。コタツムリである。笑
学生時代や社会人なりたての自分では考えられないようなことだなぁ
安定した職に就きたいと必死に勉強し、大切なものを犠牲にし、
「外で、何かしなくちゃいけない」という気持ちにとらわれ、
「みんな」からの評価を気にし、「みんな」をジャッジし続け
人とは何なのだろうか。人間にとっての自然、オーガニックとは何なのかと、訳のわからないことを考え…
そう考えると、自分の歩みは欲求階層説にばっちり当てはまっているような気がして笑えてくる。
とはいえ、満足しきっていないんだろうな〜
食べることも、飲むことも増えた。
漠然と旅に出たいと思うようにもなった。
これは、自分のしたいこと?それとも、自分の欠けた部分を埋めようとしていること?
まー考え出したらきりがないけど、よく分からんけど、これでいいらしい。笑
そういうことにしーとこ。笑
自己実現の欲求、理想とする自分の姿に近づきたい欲求、自分を深める欲求。
今はそれを埋めるのが、楽しくて面白い時期なんだろーな。
疲れるけどねwww
逃げなら、休んでも寝ても満たされないよ(*´∀`)♪笑
なら、疲れるのも批判されるのも失敗するのも受け入れて、覚悟を決めて、したいことをしよう(*´∀`)♪笑
こたやん@楽したいわけじゃない、自分の面倒くささに乾杯。笑
まずは自分を大切にすること
なんだかんだ人は「他者」を自分に取り込もうとしている。
つまり、自分=他者が到達点なんじゃない?
友だちがこんな感じのことを言っていた。
「私を肯定してほしい。それが純粋にできるのは、同性である女性ではなくて、異性である男性だと思う。そういう意味で、恋人って大事」
人は他人よりも自分に関係の深い人に好感を持つ。
他人よりも友だち、友だちよりも恋人、恋人よりも伴侶。
それは家族に近づいていくともとれる。
家族は血のつながった、自分に近い存在やよね。
親よりも長く、近く、親密になる可能性が高いのは結婚相手。
結婚したら性が同じになり、名実ともに一つになっていく。
そして、自分と相手の半分こずつ?すべて?を受け取って子どもが生まれてくる。
愛する他者っていうのは、「限りなく自分に近い存在」ってことになる。
つまり、一番愛する存在っていうのは自分ってことにならない?
自分を愛することができない人は、これからどんどん自分に近くなっていく存在を愛することができるんだろうか。
将来のこととか相手のこととか俺にはなんもわからんけど、大切なことは、今、この瞬間から、まずは自分を大切にすることなんじゃないかな?
もうちょっと踏み込むと、最初に他者を自分に取り込むって言ったけど、そんなことはない。
他者と自分って分けて考えるからしんどくなっちゃうんじゃないかっていうのが最近の仮説。
他者って誰?自分って誰?自分を認識しているのは誰?この質問をしているのは誰?とか、そういうことを考えてるの面白いよねwww
こたやん@さすがは「なんか難しいこと考えてそう」と言われる3位だけあるなと実感