「条件付き」から「無条件」へ
昨日の記事のつづき
俺の中には、
- すぐ出来なきゃいけない
- 賢くなきゃいけない
っていう「○○しなきゃ」がある(あった)。
なんでかな?って考えていったら、思いついたことがあるのね。
昔、子どもの頃、「能力の高さ」を褒めてもらう機会が多かったからじゃないだろうか。
「賢かった」「勉強ができた」「運がいい」「物覚えがいい」とか。
「できる」をフォーカスして褒めると、子どもは「できない」ことにフォーカスしてしまう。
「褒められる」を意識すると、「褒められない」ことに意識が向いてしまう。
まあ、そんな感じで「できる」ことが素晴らしいと思っているごくありふれたぽっちゃりボーイが誕生したわけである。笑
分からんでもない。子どもを褒めるとき、人を褒めるときは「できる」「できた」「いい」ことに対して褒めるから。
特に教師とか、(多分)親は「できること」「できないこと」をフォーカスしてしまいがち。
そんで、それに対する評価も「できる=〇」「できない=✖」になってしまいがち。
子ども達は、「自分を見てほしい。愛してほしい。自分に注目してほしい。特別でありたい。」みたいな、意識してるかどうかは別として、そんな言動をとってる気がする。
「できる=〇」で目立つことができないなら、せめて「できない=✖」で目立とう。
それでもいい。叱られるより、否定されるより、無視される方が嫌だ。
そんな感じなんじゃないかな~
「できる」「できない」ではなくて、「その人である」ことを大切にしてあげたい。
そうしたら、子ども達は、相手の人は、のびのびと生きていけるんじゃないかな。
これを読んでくれてる「自分自身」にも言えること。
自分のこと褒めてる?否定してない?
相手や自分に「できる=〇」「できない=✖」って採点してませんか?
相手を見張って、自分自身のことも見張って・・・それじゃ、しんどくなっちゃう。
ただ「自分である」こと。「相手であること」を大切にしよう。
そこに「行為」は関係ない。
たとえば自分が失敗したり、明らかに悪い事したりした時に、
「大丈夫だよ」「それでもいいよ」
って言われたら、なんか安心しない?
これは、「行為」ではなく「存在」に注目して、大切にされてるからだと思うのね。
こんな感じでさ、相手にも、自分にも、存在まるごと〇をあげちゃおう(*´▽`*)
まずは自分は自分を大切にすること。
自分の「能力」や「行為」じゃなくて、「存在」を大切にしてあげよう。
そしたらさ、どんどん自分が好きになる。
失敗しても、「んもー、こいつめ♡」ってなる。笑
そりゃ傷ついたり凹んだりするけど、回復が早くなる。
俺さ、おじーちゃんおばーちゃんっ子だったのね。
それは、きっと「存在」を大切にしてくれてるのをより多く感じてたからなんじゃないかな?そうだよね?(しらんがな)
親ももちろん愛してくれてたけど、親と祖父母では回数や立場や比率がちがうからね。
「なんか大切にしてくれてる気がするから、なんかしらんけど好き」って、そんな思い出ない?
それ、自分にも応用できるで~_(:3 」∠)_
しかも、始まりは自分なのね。
自分の存在を大切にできるから、相手の存在も大切にできるようになっちゃうよ。
そして、イライラする人、嫌いな人は、消える。笑
存在が認知できなくなる。
そしたら、大切な自分も、大切な相手も、みーんな幸せなんじゃないかな~
レジリエンスとか自己肯定感とか難しい言葉使ってるけど、まあ、これのことなんじゃね?しらんけど。笑
こたやん@かけがえのないわたし